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ビートルズ・ストーリー(アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」発売後~9枚目のアルバム「ザ・ビートルズ(ホワイトアルバム)」発売)

ビートルズ・ストーリー
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この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」のアルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」発売後~9枚目のアルバム「ザ・ビートルズ(通称:ホワイトアルバム)」発売ぐらいまでの流れを大まかに書いています。

アルバム「マジカル・ミステリー・ツアー」発売後のビートルズ

ビートルズのメンバーは1968年の2月、前年に続いてインドへと向かいました。マハリシのもとで瞑想修行をして人生の本当の意味を見つけるという試みでした。瞑想を勧めたのはジョージで、ジョージはまたこの瞑想修行を通してビートルズのメンバー同士の繋がりが強まればいいとも考えていたようです。

インドへは、まずジョージとジョンが旅立ち、後を追うような形でポールとリンゴもそれに続きました。インドのリシュケシュでは、瞑想修行以外にもメンバーにとっていいことがありました。それはさすがにここまではビートル・マニア(ビートルズの熱狂的なファンの呼称)もマスコミもおらず(多少のパパラッチはいたようです)、静かな生活を送ることができて心身を休ませる休養になったことでした。

ただ、リンゴだけはインドの食生活や環境に全く馴染むことが出来ず、3月1日には早くも帰国の途につくことになりました。

瞑想修行のためにインドを訪れたとはいえ、日頃から曲作りが習慣化していたジョンとポールはギターを持参しており、ジョージに「僕たちはここに曲作りをしに来たわけじゃない」と怒られながらも曲作りに勤しみ、後にアルバムに収録されることになる楽曲を誕生させました。

ビートルズと一緒に瞑想修行をしたメンバーには英国のフォーク・シンガーのドノヴァンやビーチ・ボーイズのマイク・ラヴもいて、お互いに刺激をしあって作曲を楽しんだそうです。

「アップル」の設立

インドから英国に戻ったビートルズが最初に始めたことはビートルズの自分たちの会社「アップル」の設立でした。音楽業界の古いシステム…誰か(レコード会社や資本家など)に頼み込んで資金を提供してもらい自らの企画を実現するようなことを打破したいというのがアップル社のモットーで、ビートルズのメンバーの誰かひとりでも「この企画は素晴らしい」と感じれば資金を提供するという会社でした。それに並行して「アップル・レコード」というレーベルも設立されました。

アップル・レコードには世界各国から数え切れないほどのデモ・テープが送られてきたそうです。これは現在では当たり前になっているインディーズ・レーベルの先駆けと言ってもいいかもしれません。

ビートルズのメンバーの中でこのアップル・レコードで最初に独自の企画を実現したのはジョンで、オノ・ヨーコと共に前衛的なアルバム「トゥ・ヴァージンズ」をレコーディングしました。

ニュー・アルバムの作成開始

アップル、アップル・レコードの設立・活動と並行してビートルズのメンバー4人はジョージの自宅に集まりました。ジョンとポールとジョージがアコースティック・ギターを弾き、リンゴはボンゴを演奏。そして順次4人の新曲のセッションをしてニュー・アルバムのデモ・テープを作成しました。

その後いよいよビートルズ9枚目の作品となるニュー・アルバムスタジオでのレコーディングが始まります。このレコーディングで最初にレコーディングされた曲は「レボリューション 1」でした。レコーディングしたいくつかのテイクの中には10分を超えたものもあり、後半の6分が後に切り離されて「レボリューション 9」のベースになりました。

ジョンはこのニュー・アルバムではシンプルでプリミティブなロックを目指しましたが、またそれと同時に新たなパートナーである前衛芸術家のオノ・ヨーコの影響を受けたアヴァンギャルドな側面も作品から見て取れます。ジョンは「レボリューション 9」の編集作業もオノ・ヨーコと行っていて、またこの間にポールが「ブラックバード」のレコーディングを単独で行うなど、デモ・テープを作る段階では4人揃って和気あいあいといった感じだったのに、スタジオのレコーディングでは最初からグループとしてのまとまりに欠いた形になってしまいました。

ビートルズのメンバー別々でのレコーディングの並行作業はいい意味でのこのニュー・アルバムのひとつの特徴になるのですが、必要がなければ単独でレコーディング作業を進め、必要と思ったときは他のメンバーを呼んでレコーディングをするというレコーディングの進行過程は、それぞれのビートルズのメンバー各々が目指すサウンドに仕上げることができたという面で楽曲にいい結果を生みました。その一方で他のメンバーは気にせずに自分のやりたいことを優先的にやるというのはグループ(集団・共同作業)よりも自分を優先する(悪く言えば自分勝手)ことになり、徐々にメンバー間に軋轢を生じることになってしまいました。

リンゴ脱退?事件

このような過程の中で起きた出来事「リンゴ脱退事件」がこの時期のメンバー間の軋轢をよく表しています。リンゴは初めて自分一人で書いた記念すべき曲「ドント・パス・ミー・バイ」をレコーディングしたのにもかかわらず、一時的にビートルズとの距離を置いています。その原因と言われているのは「バック・イン・ザ・U.S.S.R」のレコーディング中にリンゴのドラミングのことでポールと言い争いがあったからだと言われています。

リンゴ脱退?という予想もしていなかった出来事に他のビートルズの他の3人は戸惑いを隠せませんでしたが、その翌日も3人で「バック・イン・ザ・U.S.S.R」のレコーディングを続けました。

このときのリンゴは「他の3人はうまくやっているのに自分だけうまくいっていない」と感じていたそうです。その気持ちを打ち明けようと個々に3人のメンバーの家を訪ねると、リンゴだけでなくジョンもポールもジョージもそれぞれに同じように感じていたそうです。そのような流れを経て最終的にはジョンの「リンゴは最高のドラマーだ!」という手紙によってリンゴはレコーディングに復帰することになりました。

ジョンはリンゴにジョンの息子であるジュリアンのために書いた曲「グッド・ナイト」を提供。このことにより今回のアルバムではリンゴのヴォーカルを2曲(もう1曲はリンゴの楽曲ドント・パス・ミー・バイ)聴くことができるようになりました。

ジョージの曲にエリック・クラプトンが参加

瞑想修行に行ったインドで、ジョンやポールのように新曲を作っていなかったジョージはニュー・アルバムのレコーディングに少し出遅れた形で「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をレコーディングしました。この曲にはアルバムのクレジットはされていませんでしたがジョージの友人であるギタリストのエリック・クラプトンがリード・ギターとして参加しています。

ビートルズのレコーディングにはこれまでにもスタジオ・ミュージシャンが参加していたのですが、それはクラシック、ジャズ、インド音楽などの別の分野のミュージシャンでした。エリック・クラプトンのようなある意味同じ土俵の、しかも超有名なミュージシャンがレコーディングに参加するのは初めてのことでした。

ニュー・アルバムの完成

ニュー・アルバムのレコーディングの最後の曲はジョージの「サボイ・トラッフル」でした。ビートルズの9枚目のアルバムとなるこのニュー・アルバムは、ビートルズのメンバーが書き溜めていた楽曲を一気に出したということもあり、とても1枚のアルバムに収めることが困難な状況に。それでもプロデューサーのジョージ・マーティンは1枚のアルバムとしてのリリースを考えていました。ですが、ビートルズのメンバーは断固として2枚組のアルバムとしてのリリースを主張。結果的にこのニュー・アルバムはビートルズの主張通りに2枚組で発売されることになりました。

「ザ・ビートルズ」と題されたビートルズの9枚目の真っ白なアルバム・ジャケットには「THE BEATLES」というバンド名とシリアルナンバーしか入っていませんでした。シンプルに「ザ・ビートルズ」と題された英国におけるビートルズの9枚目のアルバムは、すぐさま通称「ホワイト・アルバム」として知られるようになり、現在に至っています。

1968年11月22日に発売された「ザ・ビートルズ」は、高価な2枚組にもかかわらずベストセラーとなり、全英チャート、全米チャートともに1位に輝いています。

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