この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」のアルバム「イエロー・サブマリン」発売後~11枚目のアルバム「アビイ・ロード」発売ぐらいまでの流れを大まかに書いています。
アルバム「イエロー・サブマリン」発売後のビートルズ
1969年7月、アルバム「ゲット・バック」(後のアルバム『レット・イット・ビー』)のセッションとレコーディング(いわゆるゲット・バック・セッション)が終わったのですが、近年のそれぞれのメンバーの行動の流れからビートルズは精神的にバラバラの状態になりかけていました。
この頃には、すでにジョンはオノ・ヨーコとの平和活動も本格的になり始めていて、ビートルズの活動において、ジョンの集中力低下が目立った時期であり、リンゴも映画界への進出を始めていました。
1年に2枚アルバムを発売する契約を結んでいたビートルズ
メンバーがこのような状態にあっても、1年に2枚アルバムをリリースする契約を結んでいたビートルズは、この年にもう1枚アルバムを制作しなければなりませんでした。
エンジニアであるグリン・ジョンズに委ねたアルバム「ゲット・バック」は、ビートルズのメンバーがその仕上がりに納得できるレベルには至らず、「レット・イット・ビー」や「ゲット・バック」など、後にビートルズの代表曲に挙げられる名曲が含まれていたにも関わらず、このアルバム「ゲット・バック」は、最悪「お蔵入り」する可能性すら生じていました。
アルバム「アビイ・ロード」制作開始
ここでポールが思いついたことは、再びビートルズのメンバーを奮起させて、「何とかいいアルバムを1枚作れないだろうか」ということでした。
その結果、アルバム「アビイ・ロード」の制作が開始されました。アルバム「アビイ・ロード」の、レコードやCDでいうところのA面には、ジョンのダークな雰囲気のプリミティブなロック、B面にはポールが編み出し展開した壮大なメドレーという形に仕上がりました。
アルバム「アビイ・ロード」のサウンド
デビュー当初からプロデューサーのジョージ・マーティンは、ビートルズのレコーディングでは極力エコーを使わないことを信条としていて、それぞれの音がとてもクリアでした。ビートルズのメンバーも、このビートルズならではのサウンドを気に入っていました。
デビュー当初からプロデューサーのジョージ・マーティンのレコーディング信条を受け継がれながら、さらに「ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)」で、演奏にヴォーカルが埋もれないように使用したダブル・トラック・ヴォーカルや、テープの回転操作など様々な実験と経験を重ねて、年を経るごとにビートルズのサウンドは確立していきいました。
オーケストラなどの導入を嫌ったジョン
オーケストラなどの導入を嫌ったジョンは、このアルバム「アビイ・ロード」において、バンド・サウンドにこだわったソリッドなロックを展開しました。
ダークな雰囲気のヴォーカルにブルージーなギターサウンドの「カム・トゥゲザー」や「アイ・ウォント・ユー」などがまさにそれに当たり、この流れからジョンはソロ・アルバム「ジョンの魂」へと向かうことになります。
才能を遺憾なく発揮したポール
このアルバム「アビイ・ロード」においてポールは、その才能を遺憾なく発揮し未完成の曲をメドレーでつなぐという、とてもユニークな発想を展開しました。
曲によって歌い分けるポールのヴォーカルの才能はさらに磨きがかかり、「オー!ダーリン」などの1950年代風からジャンルにとらわれない曲まで計り知れない才能を見せつけました。
このアルバム「アビイ・ロード」は、ポールのまとめ上げる力がなければ存在し得なかっただろうと言われています。
「ビートルズのリード・ギタリスト」ジョージ
「ビートルズのリード・ギタリスト」を自負してきたジョージは、チョーキングを多用しつつ、後のソロ・アルバムへとつながるジョージならではのギター・サウンドを堂々と打ち出しました。
アルバム「アビイ・ロード」の中で「サムシング」や「ジ・エンド」のギター・ソロでそのジョージならではのサウンドが堪能でき、「ヒア・カムズ・ザ・サン」などのアコースティック・ギターも美しくすばらしい出来にあります。
ジョージに関して有名なのは、このアルバム「アビイ・ロード」でソング・ライターとして「レノン=マッカートニー」に肩を並べるほどに成長したことでしょう。そのことは後にジョージがソロ・アルバム「オール・シングス・マスト・パス」を発表し、シングル「マイ・スウィート・ロード」で、他のメンバーの誰よりも早くに全米1位を獲得したことで証明されます。
ドラム・サウンドが際立ったリンゴ
レコーディング技術の進歩で、当時はまだマニアックだった「ステレオの時代」が到来したことにより、ドラム・サウンドの存在が圧倒的に強まりました。サウンドが際立ったことで、もともと個性的なスタイルを持つリンゴのドラミングに注目が集まることになりました。
このアルバム「アビイ・ロード」では、「カム・トゥゲザー」「サムシング」「ジ・エンド」などでリンゴの存在感溢れるドラミングが堪能できます。
また、リンゴはオリジナル曲「オクトパス・ガーデン」を提供し、他のメンバーとは異なったテーストをアルバムに加えることに成功しています。
ジャケット撮影&ラスト・レコーディング
1969年8月8日、レコーディング作業に集中していたメンバー4人は、手っ取り早く撮影を済ませるために、スタジオの前の横断歩道でジャケット撮影をすることに決めました。
何枚も撮影された写真の中から写りが良かった写真をポールがアルバム・ジャケットに選出。しかしながら、このジャケット・写真が後にビートルズがスタジオをあとにするという「意味深な構図」となってしまいました。
1969年8月20日、「アイ・ウォント・ユー」の仕上げのレコーディングが行われ、結果的これがビートルズ4人がレコーディング・スタジオに集まった最後となりました。
アルバム「アビイ・ロード」発売
1969年9月26日に発売されたアルバム「アビイ・ロード」は、全英チャートで19週連続、全米チャートで通算11週1位に輝きました。
また、レコーディング技術的にも時代の最先端をいっていたアルバム「アビイ・ロード」は、グラミー賞の「最優秀技術アルバム賞」を受賞しています。
実質的ラスト・アルバムとなった「アビイ・ロード」
アルバム「アビイ・ロード」は、ビートルズの俗に言うジョンとポールの2大リーダーがその才能と存在感を改めて誇示し、さらに、ジョージがソング・ライター、ギタリストとしての成熟、リンゴのドラムの技術面での進化も相まって、このアルバム「アビイ・ロード」は、ビートルズの「最高傑作」と言われるまでの作品となりました。
しかし、「最高傑作」と言われるまでのアルバム「アビイ・ロード」を最後に、残念ながらビートルズは解散してしまいました。

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