現在では作詞・作曲・アレンジまで自作自演が当たり前ですが、1950年代中頃から1960年代中頃までのアメリカのポップ・ミュージック界の有名なスター達は、自分自身で作詞・作曲・アレンジなどはせず、別の人物に任せていました。日本でいうといわゆる昭和時代の歌謡曲の作詞家がいて、作曲家がいて、編曲(アレンジャー)がいるシステムと同じようなものです。当時のアメリカではあのエルヴィス・プレスリーでさえも例外ではありませんでした。
「レノン&マッカートニー」のサウンド・ルーツは?
現在では「レノン&マッカートニー」というソング・ライター・チームとして、ビートルズのほとんどの曲を作ったのは周知の事実ですが、そんな彼らもデビュー当時はいろいろな音楽を聴き、それを吸収し、自分達のオリジナリティーを作り上げていったことは間違いないでしょう。
その頃のアメリカ・ポップ・ミュージック界には、ジョンやポールがお手本にしたともいえる有能なソング・ライター・チームがいくつもありました。ジョンやポールがどのソング・ライター・チームの曲を聴き、どの程度の影響を受けたかまでは、当人達以外には定かではありませんが、ビートルズがカバーしていた楽曲から、いくつかの好みのソング・ライター・チームはわかるのではないかと思います。
ビートルズがカバーしている曲にヒントあり?
「レノン&マッカートニー」のルーツは、ビートルズがカバーしている曲にあるかもしれません。ビートルズがアルバムに収録、もしくは演奏していた代表的なカバー曲といくつかのソング・ライター・チームをあげてみると
- 「ベイビー・イッツ・ユー」(シレルス)
- ハル・デビッド&バート・バカラック
- 「チェインズ」(クッキーズ)
- 「ドント・エヴァー・チェインジ」(クリケッツ)
- キャロル・キング&ジェリー・ゴッフィン
- 「カンサス・シティ」(ウィルバート・ハリソン)
- 「スリー・クール・キャッツ」(コースターズ)
- ジェリー・レイバー&マイク・ストラー
これらの曲以外でも「チーム」にとらわれないカバー曲として・・・
- 「ツイスト&シャウト」(アイズレー・ブラザース)
- バート・ラッセル、フィル・メドレー
- 「ボーイズ」(シレルス)
- ルーサー・ディクソン、ウィス・ファーレル
- 「トゥ・ノウ・ヒム・イズ・トゥ・ラヴ・ヒム」(テディ・ベアーズ)
- フィル・スペクター※ビートルズは「ヒム」を「ハー」に。
※これ以外にもまだ多くの曲があります。
黒人系と白人系の魅力と才能がミックスしたカバー曲
上記以外にも「ユー・リアリー・ゴッタ・ホールド・オン・ミー」など、黒人系のワイルドで独特のイントネーションを備えた歌唱方法が、白人系のメロディやコード・プログレッションに加わり、さらにそれが軽快なロックンロール・ビートに乗って演奏される。これがビートルズがカバーし収録、演奏していた曲に共通して感じられる点。若かりし頃のジョンやポールがこれらの曲を目指し、オリジナル曲を作っていた可能性はかなり高かったのではないかと考えられます。
ビートルズの初期のアルバムを聴くと、これらのカバー曲と初期のレノン&マッカートニーの曲が混在していて、「この人達の影響を受けていたんだろうな」と考えて聴くと非常に興味深いと思います。
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