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ビートルズ・ストーリー(ワールド・ツアーの終焉~8枚目のアルバム制作開始)

ビートルズ ビートルズ・ストーリー
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この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」のワールド・ツアーの終焉~8枚目のアルバム制作開始ぐらいまでの流れを大まかに書いています。

サンフランシスコでラスト・コンサートを終えたビートルズ

ビートルズは7枚目のアルバム「リボルバー」のレコーディングを終えると、ドイツから始まるワールド・ツアーへと出発し、1966年8月29日、米国のサンフランシスコでラスト・コンサートを終えます。そしてワールド・ツアーを終えたビートルズのメンバーは、しばらくの間個別に活動します。

バンドとしての活動を一時停止したビートルズですが、1960年代当時ミュージシャンの主な活動の場はコンサートと考えられていたので、コンサート活動の停止はバンド存続の危機とも捉えられてマスコミなどから「ビートルズ解散説」も囁かれ始めていました。

また、レコード会社のEMIも1966年に2枚リリースするはずのアルバムが「リボルバー」1枚しか制作されていなかったことに焦りを感じ始めていましたが、EMIはこの対応としてベスト・アルバム「オールディーズ」を1966年12月10日リリースしました。

それぞれの時間を過ごすビートルズのメンバー

この時期ジョンは「音楽以外の分野で自分の才能を見つけたい」という思いもあり、戦争の愚かさを皮肉にした映画「ジョン・レノンの僕の戦争」に出演。

ジョージはこれまでの音楽活動を見つめ直し、シタール、ヨガ、インド哲学や文化を学ぶためにインドへと渡航。

ロンドンに残ったポールは、アンダーグラウンド・ムーヴメントを楽しんだり、映画「ふたりだけの窓」の音楽を担当し賞(アイヴァー・ノヴェロ賞)を受賞。

リンゴは家族とのんびりと過ごしたり、スペインでロケ中のジョンの様子を見学に行ったりして過ごしていました。

ビートルズ、新たなレコーディングを開始

コンサート活動を終え、およそ3ケ月の間それぞれの時間を過ごしていたビートルズのメンバーが再び集まりレコーディングを開始します。

まずジョンが自身の映画撮影中に作った「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のレコーディングを開始。この曲はジョンが幼い頃に遊んだ孤児院をモチーフにしたジョン自身の心象風景を歌った曲でした。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」は、最初はアコースティックな曲だったそうですが、手を加えるにつれてこれまでに聴いたことがないようなサウンドへと変貌を遂げました。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のレコーディングに続いてポールがデビュー前(キャバーン時代)に作った曲「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」のレコーディング作業が開始。さらにジョンの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」に触発されたポールが故郷のリヴァプールのストリート名を冠した「ペニー・レイン」を作曲し、この時点でニュー・アルバムはこの3曲を主軸とした「昔の想い出に因んだ曲を集めたアルバム」というコンセプトだったようです。

ニュー・アルバムのラストを飾ることになる壮大な曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」も「昔の想い出に因んだ曲」というコンセプトを踏襲していて、ポールが学生時代のバス通学を回想したものが曲の中間部分に挿入されています。

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」はシングルへ

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」、「ホエン・アイム・シックスティ・フォー」、「ペニー・レイン」の3曲を主軸とした「昔の想い出に因んだ曲を集めたアルバム」というコンセプトで制作されていたニュー・アルバムでしたが、レコード会社であるEMIからシングル用の曲を催促されたビートルズ陣営は、この時点で納得できる曲が「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の2曲だったため、やむを得ずニュー・アルバム用にレコーディングをしたこの2曲をシングル用として使うことになります。

やむを得ずニュー・アルバムの収録曲から除外(ビートルズはシングル曲はアルバムに入れないようにしていた)することになった「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の2曲にマネージャーのブライアン・エプスタインは自信はあったものの、あまりにも新しく斬新なサウンドに飛躍していたのでビートルズのファンがついてこられるのかどうかを危惧していました。

そこでブライアン・エプスタインは、他のミュージシャン達はこの曲をどう捉えるのかをリサーチするために、ピート・タウンゼント(ザ・フー)とエリック・クラプトンを呼び出し曲を聴いてもらい感想を求めました。

曲を聴いたピート・タウンゼントは「ただの音楽のはずなのに、耳を疑った。まったく奇妙でクリエイティブで不思議でそれまでにはないサウンドだった。そして紛れもない傑作だ。」と驚愕して感想を述べ、エリック・クラプトンは1回聴いただけでは訳が分からず、「もう1回聴かせてくれないかな?」とブライアン・エプスタインに打診したということです。

「ロック」というジャンルの登場とこの時代

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の2曲を皮切りに前作アルバム「リボルバー」で試した今までにないボーダーレスの音楽をビートルズはニュー・アルバムでなお一層追求します。

ロックン・ロールやリズム・アンド・ブルース、インド音楽やクラシック音楽をミックスした音楽はこの後「ロック」と呼ばれることになる幅広い音楽のひとつのジャンルへと変貌を遂げることになります。

現在では当たり前の「ロック」という音楽ジャンルは当時はまだ曖昧でした。

奇しくもこの時代米国では、いわゆる「フラワー・ムーヴメント」が開花する瞬間であり、ビートルズは制作中のニュー・アルバムでこの新しい若者の文化の先頭に立とうとしていました。

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