PR

ビートルズ・ストーリー(アルバム「リボルバー」発売後~ワールド・ツアーの終焉)

ビートルズ ビートルズ・ストーリー
記事内に広告が含まれています。

この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」の7枚目のアルバム「リボルバー」発売後~ワールド・ツアーを終えるぐらいまでの流れを大まかに書いています。

ビートルズがコンサート・ツアー活動を終える過程

7枚目のアルバム「リボルバー」のレコーディングを終えたビートルズは、ドイツから始まるワールド・ツアーへと出発。

ファンにとっては嬉しいビートルズのコンサートでしたが、この頃のビートルズのメンバーはコンサート中に観客の声で自分達の演奏がほとんど聞こえない、そしてどの場所に行っても当時「ビートル・マニア」と呼ばれていたファン達の騒動などが起こり、どの国へ行ってもコンサート以外の時間に宿泊先のホテルに缶詰めにならなければならない状況にうんざりしていました。

他にも、コンサートごとに楽屋に訪問する地元の市町や役員(いわゆるお偉いさん)達の思いやりのひとつも感じられない写真撮影や彼らの無作法な子供達にサインをせがまれたりすることもビートルズのメンバーにとってフラストレーションとなっていました。

ジョンのキリスト発言

コンサート・ツアーにうんざりしていたビートルズに更なる追い打ちをかけたのが当時世間を騒がせたことで有名な「ジョンのキリスト発言」でした。

ジョンが受けた英国の新聞社のインタビューは長かったにもかかわらず「今の僕らはキリストより人気がある」という部分だけを掲載した米国の雑誌により歪められて報道された。

このジョンの発言を受け、キリスト教徒の多い米国南部ではビートルズの排斥運動が起こりましたが、「事実と異なる報道」と当初ジョンは謝罪を拒否していました。ですが、信じられないほどの脅迫を受けることになりジョンは謝罪せざるを得ない状況になってしまいました。

コンサート・ツアー活動の終焉

前述の状況によりビートルズのメンバーのフラストレーションは最大値。特に体制を嫌うジョンは限界でした。もちろん、腰を据えてじっくりとレコーディングに専念したいという大きな理由もありました。

これらの要素が一気に押し寄せたことによって、ジョン、ジョージ、リンゴ、そしてポールまでもが「コンサート・ツアーはもうやらない」という結論に達し、この年(1966年)ついにツアー活動をやめることになりました。

ビートルズ「伝説の日本公演」

結果的にビートルズ最後のワールド・ツアーとなってしまったツアーには、1966年6月30日~7月2日に日本武道館で3日間計5回のコンサートが行われた「伝説の日本公演」も含まれていました。

日本武道館で演奏された曲は「ロック・アンド・ロール・ミュージック」「シーズ・ア・ウーマン」「恋をするなら」「デイ・トリッパー」「ベイビーズ・イン・ブラック」「アイ・フィール・ファイン」「イエスタデイ」アイ・ウォナ・ビー・ユア・マン」「ひとりぼっちのあいつ」「ペイパー・バック・ライター」「アイム・ダウン」。

この日本公演の時も「神聖な武道館で…」というビートルズの排斥運動が一部で巻き起こりました。この3日間に動員された機動隊、警官の人数はのべ5,500人におよび、この数字だけ見ても当時の騒動の大きさがわかります。

騒動を受けポールは記者会見で「もし日本の武道団が英国の王立劇場に出演しても、それは英国の伝統を汚すことにはならない。僕らもあなた方と同じように伝統を重んじていますよ」と答えました。

ビートルズが日本武道館をロックン・ロール(現在で言えばロック)で「解放」して以降、現在に至るまで数多くの国内外のアーティスト達が武道館でコンサートを行っています。

日本のロックの黎明期はビートルズによって訪れた

このビートルズの日本武道館コンサートはテレビ放送もされ、その視聴率は全国で60%を記録しました。

ビートルズの日本武道館公演は、日本でこれより前にベンチャーズが巻き起こした「エレキ・ブーム」に次ぎ、今度は空前の「バンド・ブーム」を起こすことになります。ここからいわゆる「GSブーム」が始まり当時グループ・サウンズと呼ばれた日本のバンド達が登場し始めることになりました。

現在に至る日本のいわゆる「ロック」の黎明期はビートルズによって訪れたと言っても過言ではないでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました