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ビートルズ・ストーリー(8枚目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」制作&発売」)

ビートルズ ビートルズ・ストーリー
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この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」の8枚目のアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」制作&発売までの流れを大まかに書いています。

コンセプト・アルバムの誕生

「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の2曲をシングル曲としてリリースすることになり、その結果として当初のコンセプトの主軸となる2曲をニュー・アルバムに収録しないことになってしまったので、「昔の想い出に因んだ曲を集めたアルバム」というニュー・アルバムのコンセプトは少し薄くなってしまいました。

ですが、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という曲の登場で新たなニュー・アルバムの方向性、コンセプトが生まれます。

ポールが米国からの帰国便に乗っていたとき、ロード・マネージャーのマル・エヴァンスと食事をしながら「ソルト&ペッパー(塩と胡椒)」の話をしているとサージェント・ペパー(ペパー軍曹)と聞き間違えて「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という曲のアイディアが浮かんだと言います。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」という曲の誕生で、ポールはビートルズが架空のバンドに扮し、アルバム全体をこの架空のバンドのショーに見立てるという新しいコンセプトを思いつきました。

アルバム・サウンドの特徴

ニュー・アルバムのサウンドの主な特徴としては、前作「リボルバー」の「トゥモロー・ネバー・ノウズ」でも用いた効果音(SE)の多用があり、さらにそこに観客の歓声や動物の声など思いつくアイディアを盛り込んでいます。

収録曲「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」には40人の大編成オーケストラを導入します。ただしそのオーケストラは普通に演奏するスタイルではなく「楽器の最低音から最高音まで一度に演奏する」というアヴァンギャルド音楽に精通していたポールのアイディアで演奏するというもの。オーケストラのメンバーは「最も低い音から最も高い音」「最も弱い音から最も強い音」というポールの指示に戸惑いながらも従うことになりました。

この収録日(1967年2月10日)にはビートルズの友人たちも招待されており、ミック・ジャガー、キース・リチャーズ(ザ・ローリング・ストーンズ)やドノヴァンらが姿を見せてたそうです。

このニュー・アルバムのレコーディング・エンジニアだったジェフ・エメリックの回想によると、「このアルバムのサウンドはすべて普通じゃないものにしたい」という希望にしたがい、ジョージ・マーティンとチームを組んだジェフはビートルズの要求を次から次へとレコーディング・テープに移し替えていったそうです。

たとえば、どのサウンドにもディストーションやリミッター、かなりヘビーなコンプレッサーもしくは強力なイコライジングがかけられていたりしているのをはじめ、ヴォーカルには大量のエコーをかけ、さらにレズリースピーカー(回転スピーカー)を通したり、またオシレーターを使って楽器やヴォーカルのスピードをいじったり、逆回転のテープも使ったりしました。さらにビートルズのメンバーはミックス・ダウンのときに「曲と曲との間に切れ目を入れない」という注文も出したそうです。

このようにしておよそ700時間費やしたビートルズの8枚目アルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」が完成しました。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は1967年6月1日に発売され、全英チャートで22週連続1位、全米チャートで15週連続1位になりました。

「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」は、1967年のグラミー賞で「最優秀アルバム賞」「最優秀コンテンポラリー作品賞」「最優秀エンジニア賞」「最優秀ジャケット・デザイン賞」の4部門を受賞しました。

レコーディング・プロセス

参考までにレコーディングがおこなわれた順(レコーディング開始日)を書いておきます。

  • ホエン・アイム・シックスティ・フォー(1966年12月6日)
  • ア・デイ・イン・ザ・ライフ(1967年1月19日)
  • サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(1967年2月1日)
  • グッド・モーニング・グッド・モーニング(1967年2月8日)
  • フィクシング・ア・ホール(1967年2月9日)
  • ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト(1967年2月17日)
  • ラヴリー・リタ(1967年2月23日)
  • ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ(1967年3月1日)
  • ゲッティング・ベター(1967年3月9日)
  • シーズ・リーヴィング・ホーム(1967年3月17日)
  • ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー(1967年3月22日)
  • ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ(1967年3月29日)
  • サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド/リプライズ(1967年4月1日)

レコーディング・スタジオはアビイ・ロードのスタジオ2。ただし「フィクシング・ア・ホール」はロンドンのトッテナム・コート・ロードのリージェント・サウンド・スタジオでレコーディングが開始され、その後アビイ・ロードのスタジオで仕上げられました。

このレコーディング・セッションではアルバムに収録された曲以外に「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー(1966年11月24日)」「ペニー・レイン(1966年12月29日)」「オンリー・ア・ノーザン・ソング(1967年2月13日)」の3曲がレコーディングされました。「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と「ペニー・レイン」の2曲はシングル曲としてアルバムに先駆けてリリースされ「オンリー・ア・ノーザン・ソング」は映画「イエロー・サブマリン」のサウンドトラック盤で発表されました。

アルバム・ジャケット

有名な「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のアルバム・ジャケットの撮影は1967年3月30日チェルシー・マナー・スタジオ(ロンドン、フラッド・ストリート)で行われました。

アルバムのコンセプトである「ビートルズが架空のバンドに扮してコンサートを行う」に沿うような形でジョンとポールが「公園かどこかでコンサートを終えたばかりのバンドをイメージして」という注文を撮影者側に出したので、それがバンドの後ろに群衆(観客)を立たせるとうアイディアに繋がったと言われています。

群衆(観客)には基本的にビートルズのメンバーが好きな人物を一堂に集めるというアイディアで進められたのですが、それぞれの人物に許可を得る作業はかなり大変だったようです。

アルバム・ジャケットにはボブ・ディランやマリリン・モンローをはじめ、ビートルズ創設時のメンバーだったスチュアート・サトクリフ(左側後方)の姿もあります。また、右側の端の方には「WELCOME THE ROLLING STONES」と書かれたセーターを着た人形がありますが、これに返答する形でザ・ローリング・ストーンズがアルバム「サタニック・マジェスティーズ」のアルバム・ジャケットでビートルズのメンバー4人の顔を登場させていることは有名な話です。

アルバム・ジャケットのデザインはピーター・ブレイクによるもので、カメラマンのマイケル・クーパーによって撮影が行われました。

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