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ビートルズ・ストーリー(ビートルズ誕生までの流れ)

ビートルズ ビートルズ・ストーリー
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この記事では現在でも多大な影響を及ぼす偉大なグループ「ビートルズ」がどのようにして生まれたのかという「ビートルズの誕生の歴史」の大まかな流れを書いています。

ビートルズ誕生までの流れ

ザ・クオリーメン

まず初めに、「ビートルズ」というバンド(名)が誕生する以前の1957年、当時16歳であったジョン・レノンが学友を集めて結成したバンド「ザ・クオリーメン」の初の公式ステージ(ライヴ)が6月9日に行われ、その後の7月6日、ザ・クオリーメンのライヴを観た当時15歳だったポール・マッカートニーがザ・クオリーメンに加入しました。

その翌年1958年の2月、ポールの紹介で14歳のジョージ・ハリスンがザ・クオリーメンに加入。結成当初はジョンの学友を集めた悪く言えばいわゆる「寄せ集め」的なザ・クオリーメンというバンドでしたが、ジョン・ポール・ジョージというプロのミュージシャンを目指す3人が揃ったことによりその後はこの3人がバンドの核となっていきます。

1960年に入り、ジョンが通っていたアート・スクールの友達であったスチュアート・サトクリフがベーシストとして加入(当時ポールはギターを担当していた)。この頃になるとバンド名を「シルヴァー・ビートルズ」などとその時々に変えていて自分たちのライヴ活動はもちろん、他のシンガーのバック・バンドとして活動していました。

そして彼らに転機が訪れたのは地元のプロモーター企画のドイツでの長期滞在ライブ(いわゆるハンブルグ巡業)の話が舞い込んだ時。ただしその話はドラマーを固定することが条件(当時ドラマーは入れ替わりで流動的だった)であったので、母親が地元のライヴ・ハウス(コーヒー・ハウス)「カスバ」を経営していたピート・ベストをドラマーとして迎え入れ5人となったバンドは「ザ・ビートルズ」としてバンド名を改め活動するようになりました。

ハンブルグ巡業

1960年8月から始まった「ハンブルグ巡業」では、最初にインドラ・クラブで船乗りや酔っ払い相手に夜通し演奏するという過酷なライヴ(48日間、200時間以上と言われている)。激しい演奏が好みのドイツの客を相手にそのリクエストに応えているうちにバンド独自のグルーヴ感を身に着けていき、演奏能力も向上。同時に客との駆け引きも自然に身に着けていきました。

続いてカイザーケラーというクラブでは8週間夜通し演奏。このクラブでビートルズと交互に演奏を受け持ったのが、後にビートルズに加入することになるドラマー、リンゴ・スターが在籍していたロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズでした。

ハンブルグ巡業から帰国後

ハンブルグ巡業から帰国した地元での12月のライヴではビートルズがハンブルグ巡業で培った「激しいビート感」の演奏が観客の心を奪い、次第にビートルズというバンドが地元に浸透し始めて、以前よりもファンも増え始めたといいます。

翌年の1961年、ベーシストであったスチュアートの脱退に伴い、代わってポールがベースを担当するようになります。ジョン・ポール・ジョージ・ピートの4人となったビートルズは地元リヴァプールのキャバーン・クラブを拠点として2度目のハンブルグ巡業へも行きました。

ザ・ビートルズ・デビューへ

ビートルズの評判を知った地元リヴァプールのレコード店「ネムズ」のオーナーであったブライアン・エプスタインがビートルズのマネージャーに就任。1962年の1月にデッカ・レコードのオーディションを取りつけましたがデッカのオーディションには落ちてしまいます。当時、ハンブルグ巡業、ライブで培った幅広いジャンルのレパートリーとライヴ演奏が最大のアピールポイントであったビートルズとしてはスタジオ・レコーディングではレコード会社の担当者にその実力を見せることが難しかったのかもしれません。

その後のビートルズの活躍(成功)を見れば当時のデッカ担当者の判断は大失態!デッカはこの後、ローリング・ストーンズと契約したことでなんとかメンツを保ったと言ったところでしょうか。

しかし、「ビートルズはエルヴィス(プレスリー)よりビッグになる」と信じるブライアン・エプスタインは諦めませんでした。いろいろなレコード会社の担当者達に嘲笑されながらも最後の最後にEMI傘下のレーベル「パーロフォン」のプロデューサーであったジョージ・マーティンに話を取りつけることに成功。ここでやっとビートルズのレコード・デビューへの道が開けたのでした。

ビートルズというバンド名の由来

ビートルズというバンド名の由来は、メンバーが敬愛するロックン・ロールのスターであった「バディ・ホリー&ザ・クリケッツ」にあやかってバンド名をダブル・ミーニングにすることにしたと言われています。たとえば、クリケッツ(crickets)は「コオロギ(cricket)+英国の伝統的なスポーツ(cricket)」という2つの意味が込められています。

ビートルズというバンド名は主にジョンとスチュアートが考えたと言われていて、当時流行っていた映画の中に出てくるバイク・チーム「ビートルズ(beetles)」からヒントを得たと言われています。

一説によるとスチュアートがライバル達をすべて叩き落とすという意味で「beat-all」というスペルを考案し、そしてそこからジョンと2人で音楽の「ビート(beat)」と「カブトムシ(beetle)」を掛け合わせたダブル・ミーニングでビートルズ(beatles)というバンド名が出来上がったと言われています。

なお、補足としてカブトムシは日本とは違って英国では害虫扱いで嫌われている虫だったそうで、当時のメンバーのライフ・スタイル(革ジャン&リーゼント&激しい演奏スタイル)が一部の若者たちを除き一般的に忌み嫌われるスタイルだったということもシニカルに掛けてあったのかもしれません。

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